自民党埼玉県連青年局にて、能登半島地震被災地の能登町にて災害ボランティア活動

こちらの記事の続きです。

 

七尾市 和倉温泉に泊まった私達は、翌日、早朝より、能登半島を更に先へと歩を進め、能登町に移動しました。

当初は、埼玉県の対口支援先である七尾市内にて災害ボランティア活動を行う予定だったのですが、七尾市では既にボランティア活動の受け入れは終了していたためです。

 

和倉温泉 → 能登町災害ボランティアセンター(能登町社会福祉協議会)

の移動は、クルマで2時間。

 

能登半島の中央部を縦貫する背骨である、のと里山海道は、ICからしか出入りできない高規格の道路です。かつては有料道路でしたが、2013年には無料開放されています。

この道路も被災しており、あちこちが陥没、土砂崩れによる路面崩壊、隆起・沈降を起こしており、今はまだ仮復旧の段階です。あくまでも本復旧ではなく、仮復旧なので、あちこちが凸凹しており、まともなスピードは出せません。しかも、一部区間は一車線のみしか開通しておらず、下り路線のみの片側通行になっていました。

 

このような、能登半島の末端部への交通アクセスの悪さは、復興への大いなる妨げになっています。

能登町災害ボランティアセンターへ。

能登町社会福祉協議会の中に設けられています。

 

建物は、合併前の旧 内浦町の町役場だったようです。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

ボラセン。

 

自分のスマホでQRコードを読み取って、web画面上で受付を行う

MT車の運転が出来るかどうかで振り分け(MTの軽トラを運転できるかどうか)

タスクを割り振られる
(私達の場合は、2つのグループに分かれてグループとして割り当てられました)

ブリーフィングを受けて、現場に向かう

 

という具合に、ワークフローはかっちりと確立されています。

 

このボラセンは、能登町社協が運営しているのですが、能登町社協の職員だけではなく、他の地域の社協から応援に来ていました。

20240712 能登町 災害ボランティア活動

ブリーフィングをしてくださった方は、名古屋市社協の方でした。

同じ人がずっと張り付いているわけではなく、定期的にローテーションしているそうです。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

スコップ・手押し車などの道具類、ブルーシート・土のう袋・ヒモなどの消耗品類、軍手、ヘルメット、防塵マスク、防塵アイウェアなどの装備類、飲み物などは、一通り揃っており、自由に使うことができました。

ヘルメットは町会支給のモノを持って行き、防塵マスクはわざわざホームセンタで買って行ったのですが、これらもボラセンで借りることが出来ました。

 

電気、水道は既に通っておりますし、ゴミ収集機能も復旧しているので、ゴミは捨てていくことが出来ます。

 

しかしながら、お昼ご飯だけは支給されないので、自ら準備して持ち込む必要がありました。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

ブリーフィングの様子。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

割り振られたタスクの指示書。

作業場所の地図情報はQRコードが記載してあり、現場の写真もあるために分かりやすいです。

 

 

土の撤去の作業

20240712 能登町 災害ボランティア活動

軽トラにて現場に到着して、道具類を運び出す。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

最初は防塵マスクと防塵アイウェアを装着していたのですが、後述のように、粉塵が発生する現場ではないために、暑くてたまらず、すぐに外してしまいました。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

スコップで土をかき出し、手押し車に載せているところ。

 

私達が割り当てられたタスクの現場は、山間の谷筋の民家でした。

民家のすぐ裏手にはちょっとした崖が迫っており、地震の時に土砂が崩れてきました。幸いなことに家を押し潰すほどではありませんでしたが、けっこうな土砂が家の壁面まで押し寄せたままになっていました。

家の裏の細い空間であるため、重機が入れるような場所ではありません。すぐ際まで軽トラが横付けできればいいのですが、そういう構造の場所ではなく、一旦手押し車に載せて、軽トラまで運ぶことになります。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

当初は手押し車に直接、土を乗せていたのですが、よく考えてみたら土のう袋に詰めてから運んだ方がいいのでは?と気が付きました。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

土入りの土のう袋は、軽トラで運んで、山の中の産業廃棄物処分場(埋立地)に捨てに行きます。

 

20240712 能登町 災害ボランティア活動

よっこいしょ。

 

 

「石を撤去してはダメ」という作業指示

ところで、私たちが割り当てられた指示は、あくまでも「土の撤去」なんですよ。この中には、は含みません。

 

日常的な家庭ゴミと同じように、災害ゴミも、分別が必要なのです。

上記の産廃処分場が受け入れるのは、あくまでも土だけであり、石は受け入れていません。

 

しかしながら、現場である民家の裏手に崖から崩れ落ちてきたのは、いわゆる土砂です。

土もあれば、石もあります。

幸いなことに、人手で運べないほどの大きな石はありませんでしたが、最大で直径40cmほどの、大人二人でようやく運べる程度の大きさのものもありました。

このような石は、私達が与えられた作業指示の中では、撤去することは出来ません。建前上の対応としては、「石はそのまま放置する」ということになります。

 

ここに、大いなるジレンマがありました。

 

そこで、実際のところはどのような対応を取ったのかと言うと、

昼休みにボラセンに戻った際に、ボラセンの社協職員に相談し、「家主さんに、移動してほしい場所を聞いて、そのように作業して上げる」ということになりました。

田舎ゆえに家の敷地が広く、敷地内の空いている場所に石を移動させる、という対応を取りました。

 

 

軽トラの積載量は、意外と小さい

軽トラは、文字通り軽自動車なので、排気量は660ccしかなく、馬力も45~60馬力程度しかありません。最大積載量は、おおむね350kgです。

意外と小さいのですね。

 

土のうの重さをいちいち現場で測定するわけではないのですが、つい積み過ぎてしまい、軽トラのタイヤをパンクさせてしまいました。

仕事しに行ったのに、新たな仕事を作ってしまう、という笑い事ではない事態になりました。

 

 

所感

重機類を用いることが出来ず、人手でないと出来ないボランティア作業は、まだまだたくさんあります。

ボランティア活動の人員を集めるに当たり、ボトルネックとなっているのが、

・現地までのアクセスの悪さ(能登半島の根本から末端までの移動時間が長い上に、公共交通機関は平時から貧弱なので、クルマ以外でのアプローチは困難)
・現地における宿泊施設の供給量の少なさ

だと認識しました。

コンビニ、ドラッグストアなどの流通業は、全てではないものの復活しており、飲食物の調達については、問題ありません。


自民党埼玉県連青年局にて、能登半島地震被災地の七尾市を視察

令和6年(2024年)7月11-12日、自民党埼玉県連青年局メンバ13人ほどにて、本年元日に発災した能登半島地震被災地である七尾市を訪問し、視察してまいりました。

 

七尾市を含め、能登半島には、本年5月後半に個人にて視察を行ったところで、1ヶ月半ぶりの訪問となりました。

 

自民党埼玉県連青年局は、当該任期の当選時点で50歳以下である、自民党埼玉県議団の県議会議員が所属しております。

 

 

新高岡駅からレンタカーに分乗して、七尾市へ。

七尾市では、自民党石川県議団所属の清水真一路 県議会議員にアテンドしていただきました。

 

 

倒壊家屋の解体は進んでおらず

20240711 七尾市視察

市内中心部の商店街です。

多くの倒壊家屋が、倒壊したまま残っております。

 

20240711 七尾市視察

公費解体は進んでおりません。

申請済みで解体未着手の棟数は2,000件に及びます。

 

何か一つのボトルネックがあるわけではなく、

・コンサル不足
・解体業者不足
・ガレキ置き場不足

などの複数の要因があるとのことでした。

 

 

未だに被災者が避難生活を送る避難所

20240711 七尾市視察

七尾市中心部に位置している、矢田郷コミュニティセンターです。

 

七尾市は、市直営の公民館を廃止し、コミュニティセンターに移行しています。市内15箇所のコミュニティセンターは、それぞれの地域のまちづくり協議会が指定管理者として運営しています。

 

20240711 七尾市視察

責任者の方から詳しい説明を伺いました。

この地域のまちづくり協議会の役員(ごく低額の有償ボランティア)さんです。

この方の地域愛と属人的な努力によって、元日の発災直後からこの避難所は運営されてきました。

 

「行政も被災した。行政は頼れなかった。
よく、自助・共助・公助と言うが、公助なんて存在しない」

という趣旨の発言が印象的でした。

 

20240711 七尾市視察

未だに47名の方々が避難生活を送っています。

段ボールで居住区画を区切ってあります。

 

既に仮設住宅の供給も始まっている今のタイミングで、未だに避難所生活を送っている方々は、自宅が断水・トイレが使えない状態で、昼間は自宅で過ごし、夜に避難所に寝泊まりに帰って来る、というパターンが多いとのことでした。

 

元日の発災直後には、600-700名の方々が館内に避難し、車中泊を含めると1,000人以上の方々がこのコミュニティセンターで避難生活を送っていたそうです。

避難所運営のセオリーとしては、「避難所を開設したらすぐに、受け付け所を設け、避難者の名簿を作る」というのがマニュアル通りのやり方です。

しかしながら、初日はそれどころではなく、名簿を作り始めたのは1月2日からだったとのことでした。

 

私も、これまでに全国各地の様々な災害現場を視察して来ましたが、現役で稼働している避難所の居住区画を見学したのは初めてです。

 

20240711 七尾市視察

当初は、段ボール壁の高さは、上の写真の1段目までの高さしかありませんでした。

プライバシの確保よりも、大きなストレス、肉体的な疲労を抱えた被災者の方々の心身の健康状態をすぐに見守れるように壁を低く設定したとのことでした。

徐々に段ボール壁を高くしてきた、とのことでした。

 

20240711 七尾市視察

既に居住者が退去した区画。

床面に段ボールを敷き詰めて、小上がりのような高さとし、畳を敷いてあります。

 

20240711 七尾市視察

共有区画。

 

20240711 七尾市視察

ごみ置き場や、スマホの充電が出来る区画。

 

20240711 七尾市視察

全国から寄せられた救援物資の倉庫として用いられている部屋。

 

1月半ばまでは、能登半島の先端部は道路が寸断して救援物資の運び入れが困難だったため、中継地点としてここで受け入れたそうです。

24時間体制で受け入れを行ったとのこと。

夜中に4tトラックがやってきて、避難者に声がけをしてみんなで荷物の積み下ろしをしたこともあったそうです。

 

20240711 七尾市視察

電気、ネット接続環境、水道は使えますが、未だに館内のトイレは使えません。

この地域は、七尾市内の中心部ながらも下水道が通っておらず、浄化槽を用いているのですが、浄化槽が壊れたままだからです。

 

下水道の普及が進む今日、浄化槽は取扱業者も少なくなり、修理に時間がかかる、ということなのでしょう。

 

20240711 七尾市視察

救援物資の塩おにぎりをいただきました。

長期保存ができ、封を開けたら、水も火も使わずに食べられる、というものです。

申し訳ないけど、くそまずい。米の味も食感も無い。

1/3も食べられませんでした。ほんとごめんなさい。

 

 

仮設住宅

20240711 七尾市視察

入居前の仮設住宅を訪れました。

 

20240711 七尾市視察

この部屋は、バリアフリー仕様の部屋です。

天井は少し低めに感じましたが、サッシは二重だし、明るいし、それなりに快適そうに見えます。

 

20240711 七尾市視察

仮設住宅にて、みんなで記念撮影。

 

商工会議所の市内事業者支援体制をヒアリング

20240711 七尾市視察

七尾商工会議所を訪れ、市内事業者の支援体制についてお聞きしました。

 

商工会議所の建物も被災し、断水が続いていたそうです。

他地域の商工会議所職員の応援を得ながら努力している様子に感銘を受けました。

 

 

和倉温泉に投宿

七尾市内の和倉温泉へ。

ここは高級旅館ばかりが立ち並ぶ、きれいな温泉街です。ほぼすべての建物が、ヒビが入ったり外壁が崩れるなどして、営業再開できていません。

 

復興のためのインフラ系エンジニア、ボランティアのために素泊まり・風呂無しで部屋のみを提供している(もちろん有償で)旅館に泊まりました。

電気、トイレ、ネット接続環境は使えます。

水道も使えますが、飲用には適していないとのことでした。

 

20240711 七尾市視察

宿のお風呂には入れないので、和倉温泉の総湯(温泉街の中心にある公衆湯を、この地方ではこう呼びます)に入りました。

 

(以下の記事に続く)


埼玉県による七尾市への対口支援が終了

本年元日に発災した能登半島地震における被災地の一自治体である、石川県七尾市に対して、埼玉県は対口支援を行ってきました。

本日、令和6年(2024年)6月19日付で、埼玉県より、七尾市からの申し出により、6月21日をもって対口支援を終了するとの発表がありました。

 

令和6年能登半島地震により被災した方々を支援するため、埼玉県では県内市町村と連携し、1月8日から石川県七尾市に応援職員を派遣しています。

このたび七尾市から今後は同市職員で対応するとの連絡があったことから、6月21日をもって住家被害認定調査などの対口支援を終了いたします。

それに伴い、対口支援の調整のために設置しておりました災害即応室を同日付けで閉鎖いたします。
なお、令和6年4月1日から行っている、災害復旧工事などに係る中長期的な職員派遣については、引き続き、実施してまいります。

 

これまでの七尾市への対口支援について
(1) 派遣期間 令和6年1月8日~6月21日
(2) 従事業務 避難所運営支援、罹災証明書発行支援、住家被害認定調査
(3) 派遣人数 埼玉県:81名、市町村:192名、計273名

 

埼玉県を代表して被災地での支援活動にあたった県職員、県内市町村職員の皆様には感謝申し上げます。

ありがとうございました。
お疲れ様でした。

 

 

引き続き、七尾市の復興の様子を見守りつつ、支援して参りたいと存じます。

 

 

5月29日に訪れた七尾市の様子についての記事は、こちら。


能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市

珠洲市内へ。

 

珠洲といえば、ミドル距離の珠洲トライアスロンに2回出たことがあります。

ランのエイドに置いてあるスイカが甘くて絶品でした。

暑かったけど、楽しい大会でした。
レースそのものよりも、フィニッシュ後に眠気と戦いながらクルマを延々と運転して帰るのが何より辛かったことが思い出されます。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

傾き、あさっての方向を向いたままの信号機。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

市内の建物倒壊率は、七尾市や輪島市よりも高いように感じました。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

この街も、ぎりぎりクルマが通れる程度の幅を残して道路上からガレキを除けただけで、ガレキ撤去作業はほとんど進んでいません。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

古い家屋が多く、ほとんどすべての家が多かれ少なかれ被災しているように見えます。

 

 

半島内の各市中心部を回りましたが、どこも復興どころか、ガレキの撤去作業がほとんど進んでいません。

重機やダンプカーなどの姿すら見かけませんので、作業が進んでいる様子もありません。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

30cmほども隆起したマンホール。

 

 

202405 能登半島地震被災地 見附島(軍艦島)

見附島(軍艦島)。

珠洲トライアスロンのラン折り返し地点がここでした。

もはや軍艦のような威容ではなくなり、ただの島になってしまいました。

 

 

(能登半島地震被災地の写真レポートは、このエントリで終わり)

あらためて、被災した方々には心よりお見舞い申し上げます。

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に


能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に

輪島市中心部では、地震・火災の際に逃げ出してしまい、そのまま行方が分からなくなった飼い猫を探す貼り紙が多数掲示してありました。

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

災害時に犬猫は行方不明になりやすいのです。

どこかで捕獲・保護されたとしても、誰が飼い主か分からなければ、飼い主の元に戻せないこともあります。

室内で飼っていた犬猫ならば、首輪をしていないことも多いでしょう。

 

 

このような際に、飼い主を探すのに有用なのが、犬猫のマイクロチップ情報登録です。

動物愛護管理法により、ペットショップ・ブリーダーにより新規に販売される犬猫へのマイクロチップ装着は2023年に義務化されております。

しかしながら、義務化される前に販売された犬猫や、個人間で譲渡された犬猫は、マイクロチップ装着していない犬猫も多数おります。

 

 

犬猫をお飼いの皆様で、マイクロチップ装着をしていない方々には、災害対策として、是非とも速やかにマイクロチップ装着なさることをお勧め致します。

本年、県議会 令和6年(2024年)2月定例会の予算特別委員会でも、県による犬猫マイクロチップ装着の啓発活動強化を訴えたところです。

 

(続く)

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

 

能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市


能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

輪島市中心部へ。

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

道の駅に隣接して設けられた仮設住宅。

バリアフリー構造になっています。

 

 

市内では、ドラッグストア、ガソリンスタンド、スーパーなどは平常通りの営業を行っております。

多数のパトカーがパトロールしていました。
全国各地から対口支援が入っており、たまたますれ違ったパトカーは、鹿児島県警のパトカーでした。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

多くの建物が傾いています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

斜めに傾いた電柱。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

倒壊した建物の比率は、七尾市中心部より多く感じます。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

ぺちゃんこに倒壊し、ガレキが道路にまではみ出ていますが、撤去されずにそのままになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

輪島塗の五島屋本社ビル。

1973年築、7階建て、RC造。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

基礎部分がすっぽ抜けるような形で倒壊しています。

基礎の鉄筋類が見当たりません。

 

建築工学的にはこのような倒れ方は考えられないようで、まだ倒壊のメカニズムについて調査研究中のようです。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

大規模な火災が発生した朝市地区へ。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

まだ少し焦げ臭さが漂います。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

不思議なことに、電柱と電線は残ってます。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

自動販売機が横倒しになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

空き地は雑草が繁茂していました。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

空調設備の室外機。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

ガレキは雨ざらしのため、赤錆だらけになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

なんともショッキングな光景が一面に広がっていました。

 

重機が入ってガレキ撤去作業をしている建物が一箇所だけありましたが、ガレキはほとんど手つかずでそのままになっています。

 

復興支援のために、輪島塗のお椀でも買って帰ろうかと考えていたのですが、開いているお土産屋は一軒もありませんでした。

 

(続く)

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

 

能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に

能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市


能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

能登半島の西岸の海沿いを、羽咋市 → 志賀町 → 輪島市と北上しました。

 

202405 能登半島地震被災地

観光名所である巌門

かつては波の侵食によって岩がくり抜かれ、門のようになっていたようですが、すっかり崩れて埋まってしまいました。

ここを訪れる観光客を目当てにした土産物屋や飲食店があり、遊覧船も運航されていたようです。

 

 

202405 能登半島地震被災地

巌門の近くの道路。

ひび割れた箇所に赤いスプレーで印がつけてあります。

 

 

202405 能登半島地震被災地

幹線道路沿いの土砂崩れ箇所の工事現場。

このような工事は、あちこちで見かけました。

 

 

202405 能登半島地震被災地

能登半島全域に渡り、黒光りした重厚な瓦屋根を用いた家屋がたくさんありました。

やはり重いものと思います。

地震には弱いでしょうね。

 

瓦屋根の一部が壊れ、ブルーシートをかぶせて応急措置を施している家屋は、無数にありました。

 

202405 能登半島地震被災地

ちょっとした観光名所のトトロ岩

かつては、写真右側にも耳のような部分がついており、左右対称で、トトロのような形だったそうですが、崩れました。

 

 

202405 能登半島地震被災地

海沿いの幹線道路。

道路に段差ができたり割れたりした箇所は、簡易舗装によって応急措置が施されています。

あくまでも簡易な措置であり、ついうっかりスピードを出したまま乗りかかってしまうと、衝撃で突き上げられてしまうことになります。

 

 

202405 能登半島地震被災地

地盤隆起により、テトラポットの内側の浜辺が干上がっています。

テトラポットの白色の下半分は、かつては海水面下にあったものと思います。

 

 

202405 能登半島地震被災地

黒島漁港

小さな漁港です。

地盤隆起により、堤防の内側の港がすっかり干上がってしまいました。

もはや港としては使い物になりません。

 

 

202405 能登半島地震被災地

黒島地区

かつては、天領として、北前船の海運業で栄えた集落です。

伝統的な家屋が保存されています。

黒光りする重厚な瓦屋根、横板の壁面が特徴です。

 

 

202405 能登半島地震被災地

かなりの数の家屋が倒壊し、倒壊したままになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地

倒壊していない家屋も、傾いたり、何らかの被害を受けたところが多いようです。

 

 

202405 能登半島地震被災地

集落の鎮守の杜である、黒島 若宮八幡神社。

鳥居が倒壊しています。

 

 

202405 能登半島地震被災地

江戸時代の古い町並みが保存されており、集落内にはクルマが通れないような細い路地が縦横に走っていますが、この写真のように通れなくなっている箇所も多数あります。

 

202405 能登半島地震被災地

鹿磯(かいそ)漁港

ここは規模の大きな漁港です。

ここは最大で4m地盤隆起しました。

 

 

202405 能登半島地震被災地

漁船が港内に転覆したまま放置されています。

 

 

202405 能登半島地震被災地

干上がってはいませんが、地盤が露出しており、港として使用できる状態ではありません。

 

黒島漁港と鹿磯漁港は、3月に、天皇皇后両陛下が行幸啓されお見舞い賜りました。

 

続いて海沿いの道を北上しようとしましたが、まだ一般車通行止め(災害支援関係者、居住者のみ通行可)の箇所が多く、内陸の道路を通って輪島市中心部へ向かいます。

(続く)

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

 

能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に

能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市