2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻

石巻は、津波の被害が大きかったところですが、そもそもそこそこ大きな街なので、市街地は広い。

海沿いは被害を受けましたが、市街地の中でも内陸の方は無傷で、街が機能しています。
(この後から出てくる他の街のように、街全体が壊滅というわけではない)
(以下、写真はすべてクリックすると大きくなります)
ビジホに泊まりましたが、やはり作業服姿の長期滞在中エンジニア、作業員風の泊まり客が多く、建設業はそれなりに景気よさそうです。
飲み屋~風俗業もそれなりに景気がよく、1、2年の短期で稼ごうと思ってやってくる人が多いとのことです。
元々の石巻住民は、行政からのお見舞い金(?)でちょっとしたバブル状態のようです。
震災直後に一つ大きなピークがあり、その後おさまったものの、再びなだらかに上がって持続している、といった感じのようです。
他方、繁華街においては、治安が悪化しているようです。
お金はあるけど職はない、というヤンキー上がりがぶらぶらしているとか。
お見舞金の不正受給も横行しているとのこと。
「クルマが流された」、「船が流された」と自己申告すればもらえるという種類のお見舞金があるそうで、実際には手元にクルマや船が被害に遭わずに残っているのに隠して申請する、という手口が存在するのだとか。
無いものを無いと証明することは出来ないから。
他にも、「ドアノブが壊れた」と申請すれば150万円お見舞金がもらえるとか?本当か?
以上は、一部は私の観察によるものですが、一部は現地で会った人のまた聞きの話もあります。
お見舞金の件は、聞いたままの話であり、裏取りしていません。
海沿いの地区へ。
P4149732
下層がスカスカになった倉庫(?)
柱が曲がっていますので、復旧は無理でしょう。
この後、解体するしかないと思います。
P4149735
一部、陥没しています。
P4149737
日本製紙の工場
大企業の工場は、すっかり復旧して稼働していました。
DSCN0069
ガレキの仮置き場
写真を拡大して見ると分かる通り、素材ごとに分別せずに、そのままぶん投げてあるだけ、といった感じです。
P4149739
幹線道路の中央分離帯に放置された、鯨大和煮缶詰型 廃油タンク
こちらの記事によると、当初は幹線道路上に横になっていたものを、道路復旧のために中央分離帯の真ん中に移動させたようです。

P4149743

道路の陥没、隆起、ヒビ割れのマーク
遠くからクルマで走ってきて判別できるように、白いペンキでマークしてあります。
マンホールは、おおむね数センチ隆起しているケースが多いようでした。
この程度であれば、いちいち直すわけにもいかないでしょう。
P4149751
側溝のフタが吹っ飛んでむき出しになっている箇所も多々見かけました。
この写真の場所は、ボランティアによる泥の掻き出しが終わった後、フタをしそこねてしまったものか?
P4149747
ガレキの仮置き場
ガレキの山の中から煙突が幾つも飛び出ていますが、火事予防のためのガス抜きのためのもののようです。
P4149763
海岸近くのアパート
解体作業待ちでしょうか。
P4149766
この地域は、googeマップによると住宅密集していたようですが、解体作業待ち(?)と思われる家を除いて、建物の上物は大部分が撤去されています。
しかし、写真を見ての通り、土台はまだ撤去されずに残っています。
この土台を再利用して同じ形の家を再建するのならともかく、別の家をこの場所に建てるのであれば、土台や配管も全て撤去する作業を行わないとなりません。
P4149819
こちらのお宅は、庭がガレキ置き場になっていました。
前面の道路が地盤沈下しているらしく、常に水が溜まっているようです。
DSCN0096
2階は無事ですが、家の海側の柱が吹っ飛んでいます。
P4149769
湊中学校
窓ガラスは1階は割れているものの、2階以上は割れていないので、無事だったのではないかと推測します。
堅牢な躯体なので、これは再び使用できるのではないか。
今は使われてません。
P4149773
その向かいの、湊第二小学校
P4149779
P4149791
こちらの学校も、2階以上は無事だったようですが、今は使われていません。

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜

奥松島の野蒜へ。

野蒜は、何回か行ったことがあります。
大学時代にチャリでツーリングしたことがあるし、社会人になってからバイク(エンジン付きの方のバイク)でツーリングしたこともあります。
(写真はすべてクリックすると大きくなります)
SN390156
2007年6月の仙石線 野蒜駅。
宮城国際トライアスロン七ヶ浜大会に出場するために、東北新幹線、仙石線と乗り継いで、この駅で輪行を解いたときのもの。
ダイドーの自販機に寄り掛かっているのは、私のBianchiのロードバイクです。
P4139645
2012年4月の野蒜駅。
1階はガラスは吹っ飛んでいますが、2階の高さは無事だったみたいですね。
建物の中は廃墟になっており、立ち入り禁止のロープが張られています。
駅としては機能しておりません。
P4139648
駅前の交差点
街灯の鉄柱があり得ない曲がり方をしています。
この場所に限らず、被災地全般を通じて、交通信号機と電柱はピカピカの真新しいものが復旧されています。
ガス、水道が復旧しているのかどうかは不明。
P4139664
野蒜駅の構内
線路が砂で埋まっています。
架線柱はくにゅっと折れ曲がり、架線が垂れ下がったままになっています。
仙石線のこの区間は運休中です。
P4139634
野蒜駅近くのコンビニ。
サンクス宮城のびる店
P4139638
近付いてよく見ると、花が手向けてありました。
P4139635
コンビニの隣りの食堂 かとう
5年前にトラのレースで来たときは、ここで夕飯食いました。
(その時に隣りのコンビニはまだ出来てなかった)
たまたま後から入ってきた地元の塗装業のオヤッさんと何となく仲良くなり、メシおごってもらいました。
SN390160
2007年6月に泊まったときの、奥松島YH
シーズン入り前だったので、たいして客は泊まってなくて、周りは真っ暗だし、がらーんとして寂しい宿でした。
P4139704
この写真の、グレーのマツダ デミオの左奥部分に、ユースがありました。
googleストビューを見ると、2011年7月に撮影した廃墟になったユースの建物が写っていますので、もうすっかり解体し終わった後、ということになります。
右側は、かんぽの宿。

P4139687

かんぽの宿も、営業している訳ではなく、廃墟になっており、これから解体するのを順番待ちしているようです。
P4139670
海岸沿いにガレキの仮置き場がありました。

P4139710

海岸近くにあった、墓地。
P4139725
崩れるにまかせている墓石もたくさんありました。

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近

ぽかっと4日半休みが出来たので、2012年4月13日(金)~17日(火)午前、東北の海沿い(仙台から宮古まで)を回ってきました。

視察(公費視察)ではなく、ボランティアでもなく、私費の旅行です。
何気に、被災地に入るのは初めてでございます。
以下、幾つかのエントリに分けて、写真を中心に所見を含めて時系列でレポートします。
(すべての写真は、クリックすると拡大します)
尚、写真だけ手っ取り早く見たい方は、↓こちらをどうぞ。
仙台へ
新幹線で仙台へ。
DSCN0014
実は、仙台にはガキの頃住んでいたことがあります。
更に言うと、実は中学入学前後の頃は鉄ヲタでした。
当時は、国鉄分割民営化直前の駆け込み製造で「ジョイフルトレイン」と称するお座敷列車のブームでして、華やかな車両が仙台に来るたびに写真を撮りに仙台駅に通っていました。
仙台でレンタカーを借りて、出発。
仙台荒浜~南蒲生浄化センターまでの貞山堀付近
貞山堀というのは、仙台藩初代の伊達政宗公が掘った、太平洋岸沿い運河です。
平地がずっと広がっていて、基本的には田んぼが多く、人家は少ない地域でした。
P4139547
田んぼは、ほぼすべて波で洗われてしまったようで、見渡す限りの砂地となっていました。
写真の手前のくにゅっと左に折れ曲がっている鉄の柱は、ガードレールかフェンスか何かのものだと思われます。
P4139548
コスモ石油のガソリンスタンド。
フェンスで囲って閉鎖してあります。
今後、再建するのか、撤退するのか。
大学時代にガススタでバイトしていたことがありますが、ガススタは地下に油のタンクがあるので、撤去するのに普通のビルよりも多くお金がかかります。
P4139552
荒浜交差点から、海方向を望む。
電柱と交通信号機はだいたい再建されてます。
左奥に見えるのは、荒浜小学校
小学校の辺りは人家の密集した集落だったようですが、今は何もなし。
P4139556
荒浜小学校
体育館は、1階は壁の全て、2階は壁の一部が壊れています。
外装の破損は、地震ではなく津波の被害によるものと推測します。
今は無人で、使われていません。
この学校のwebサイトによると、今は東宮城野小学校(宮城球場の辺
り)に間借りしているようです。
ということは、この荒浜地区の住人は、宮城野辺りに仮設住宅を建てて、そこに住んでいる、ということなのでしょうか。
P4139570
学校の敷地は、立入禁止になっています。
P4139577
正門前のスペースは、破壊されたバイク置き場になっていました。
車体には、回収した場所が書いてあります。
レアな旧車ならともかく、原チャリくらいであればレストアして乗るようなものではないし、元の所有者が引き取りにくることもないでしょう。
バイクの車体は、このままの状態だと、燃やすわけにも埋立地に埋めるわけにもいきません。
分解して、ゴム、金属、プラスチックなど素材ごとに仕訳しなくてはならない。
ガソリンやオイルが残っている場合は、それも然るべき方法で処理しなくてはならない。
P4139560
荒浜地区の住居跡
建物の上物はすべて撤去されており、土台だけが残っています。
この土台は、家を再建するにあたっては再利用できるものなのかな?
そもそも、住人は、再びこの地に戻ってくるつもりはあるのかな?
P4139563
「荒浜の再生を心から願う
移転を希望する者も、荒浜に住み続けることを希望する者も、ふるさと荒浜が大好きです
どちらも生きていける道を求めて探しております」
と買いてあります。
移転希望者と、最居住希望者とに分かれるようですね。
P4139579
学校前のガードレール
ぐにゅぐにゅになっています。
この付近では、ガードレールの撤去工事をしているのを見かけました。
P4139587
河川の河口付近
橋が崩壊しています。
地盤沈下もあるようです。
P4139600
幹線道路沿いの、元コンビニ風の建物。
白い外装からして、ファミマか。
この後背の集落は、建物がけっこう残っています。
工事をしているのか、掃除をしているのか、人の姿もたくさん見かけました。
P4139602
しかし、家に近づいてみると、廃墟になっていて、住んでいるわけではなさそうです。
これから壊すのを順番待ちしているのか、それとも修理して再び住むつもりなのか。
DSCN0035
おおむね、1階はガラスは割れてドアは吹っ飛び、そのままになっていますが、2階は無事であるようです。

P4139614
「2階が無事なら、かろうじて住めるかも・・・?」
という気もしますが、鍵もかからないし、(おそらく)電気、ガス、水道が通っている訳でないので、実際には無理でしょう。
P4139615
P4139616
空き巣狙い防止のためか、壊れたドア、窓は、板やトタンを打ち付けている家が多いです。
P4139618
家財道具一切がない(もしくは運び出した後なのか)家を覗いてみると、こんな感じでした。
P4139633
用水路の水門
門扉を開閉するためのハンドルと軸部分がぐにゅっと曲がっています。
このままではもはや開くことも閉じることも出来ません。
この、ハンドルと軸部分だけを交換すれば、再使用することは可能か。
右側は、コンクリート製の法面が崩れたようです。
黒いビニール製の大きな土のうを積んで応急処置を施してあります。