【蕨市錦町】春日町会敬老会がございました。

本日、2014年9月7日(日)、松原会館において、春日町会の敬老会がございました。

ご参加の皆様のご健康をお祝いするとともに、ご長寿をお祈り申し上げます。
また、関係者の皆様、お疲れ様でした。


開会の挨拶をする池上東二町会長。


アトラクションに見入りつつ歓談する皆様。


広島土砂崩れ被災地見学

議会開会中の忙しい折だが、先日2014年9月2日(火)、広島市安佐南区八木の土砂崩れ被災地を見学してきた(私費)。
ボラではなく、見学。
被災者の方には心よりお悔やみ申し上げます。

この地域は、広島市中心部から20分くらいで、地価もそこそこリーズナブルで暮らしやすい新興住宅街といった感じの地域だそうだ。幹線道路沿いには駐車場が広いヤマダ電機とか青山とかが立ち並び、典型的な郊外ベッドタウンといった感じ。

広島空港で借りたレンタカーで現地入り。


床上浸水の跡。


未だに授業閉鎖中の梅林小学校。


避難所になっている。
中に入るのは遠慮した。


光廣神社の参道。
神社の社殿そのものは、高台に建っているために被害は無し。


光廣神社の脇には、大きな土砂崩れの流れた跡があった。


流された家。


ボランティア活動が行われている。


粘土質の土が積もった道路。
これからショベルカーですくって土を取り除いていくことになる。


ボランティアセンター。


スコップで道路に積もった土を掻き出している。


側溝に積もった土砂を掻き出して土嚢に詰めている。


土砂崩れの直撃を受けて、ひしゃげたフェンスと反射鏡。


土砂が積もったアパート。


この家は、ちょうど谷筋の道路を、高い方から降りてきて丁字路の突き当りに位置しているため、土砂崩れの直撃を受けたようだ。


土砂が玄関の前に積もり、屋根の方まで泥跳ねの跡が付いている。


空き地は、仮設のガレキ置き場となっている。
その隣りの家は、何の被害もない。


土砂の直撃を受けた家。


クルマも流されるほどの激しさ。

これらのように、クルマが流されたり、家が数メートルの高さまで土砂で埋もれたりしているのは、すべて谷筋の道路に接している両脇の家だ。
そこから2軒くらい横にずれると、床下浸水すらしてなかったりする。


このクルマは、その上の土砂を堰き止める役割を果たしているため、二次災害を防ぐために今の段階では敢えて撤去せずにこのままにしてある。


同じ地区でありながら何の被害もなかった家々。


公園の砂場が土で埋まっている。
空き地や公園は、仮設のガレキ置き場となっている。


土砂崩れの直撃を受けた家。


ボランティアの方たちが降りてくる。
写真奥の山の上の方には、山が崩れた跡が縦に見える。


下水マンホール(?)を開けて土砂の堆積量を調査している。


ガレキをショベルカーで救って、トラックの荷台に載せている。


役所の土木系のスタッフか?
写真を撮ったりして、被害状況を調査している。

この他にもNTTなど、インフラ系のエンジニアが多数、3人1組くらいで調査をしていた。

この地域は、ボランティアとエンジニアが多数出入りしていて、既に復旧フェーズだ。
この地域では、自衛隊、警察、消防の姿はまったく見かけない。


吹っ飛んでしまった窓にベニヤ板を打ち付けている。
住人は避難所に避難していて、防犯のためにこのようにしているのだろう。
警察による2人1組の巡回も行われていた。


玄関が埋もれている家。


ボランティア向けの土嚢袋(?)


浄楽寺。
浄土真宗のお寺。
明治11年(と言っていたかな?)にもうちょっと高台にあったところから、今の地点に移転してきたそうだ。
当時はこの寺より上の方には3軒しか家がなかったとか。

境内で休憩していたらたまたま掃除をしていたお寺の方に出くわして、お話を伺うことができた。
400年続いているお寺だが、特に土砂崩れなどの山からの水害の具体的な記録が残っている訳ではないのだという。
先のエントリで述べた「蛇落地悪谷」の地名などは、歴史好きの先代が何となくそんなことを言っていた程度に伝わっている程度らしい。むしろ、この下の位置にある太田川の氾濫の方に何度も苦しめられてきたのだそうだ。

この方が、そう言えばあなたが住んでいる地域の「荒川」という川の名前も、昔何度も荒れたからそういう名前がついたんじゃない?と不吉なことをおっしゃっていたが、まあ確かにその通りなんだろう、おそらく。


ボランティアが活動している。


JR可部線 梅林駅。
この辺りは線路が土砂をかぶっていたため、訪問日の前日の2014年9月1日(月)に復旧開通したばかり。


そして、未だに行方不明者がいる八木3丁目へ。


ひっくり返ったクルマ。


ひっくり返った家。

土砂崩れが流れてきたのは、山の縁からせいぜい2~300mくらいの距離で、その下の方では普段通りの生活が営まれている。


土砂に流されて歪んだ倉庫。


水路に積もった泥をバキュームカーで吸い出している。
ここは土砂ではなくて泥なので、バキュームカーでも対応可能なのだろう。

水路に土砂・泥が溜まったままだと、今後の雨の際に二次災害のおそれがあるので、時間との闘いだ。


こちらではショベルカーで掻き出してトラックに載せている。


そして、未だに行方不明者がいる区画へ。
この区画に入ると、雰囲気が一気に変わる。
復旧フェーズではなく、未だに救助・行方不明者捜索フェーズにある。

写真左のカモフラの作業着は、陸上自衛隊。
右の空色と黄色の作業着は、警察。

自衛隊、警察、消防のリソースは、この区画の救助・行方不明者捜索に集中投下されている。


広島市消防のスタッフ。


マンション一階に溜まった泥を、手作業で掻き出している。


広島市消防のスタッフ。
泥は深いので、靴とズボンの隙間をガムテープでシールドしている。


陸上自衛隊と警察の共同での、行方不明者の捜索が続く。
長い棒を泥の中に刺して、行方不明者がいないかどうか確認する。
確認が終わってから、スコップで泥を掻き出していく。


大阪府警の警察犬部隊。


大阪府警の応援部隊。


広島市消防局の現地本部。

消防、警察、自衛隊それぞれの現地本部は、幹線道路沿いの営業中のパチンコ屋の広い駐車場の一部を借りて設置されていた。


広島県警の現地指揮所。


こちらは陸上自衛隊。
背面のボードには、お風呂に入れる時間などが掲示してあった。


別の陸上自衛隊の部隊の現地本部。

大阪府警の応援部隊。

所見

被害が大きいのはごく一部の谷筋のみで、2,3軒横にずれると床下浸水していない、というのには驚いた。ハザードマップは、区画ごとではなくて家1軒ごとに作らなくてはならないのか!?さすがにそこまで細かくシミュレートすることは現実的には不可能だと思う。

歴史上400年間は大きな土砂崩れ災害はなかったとのことだし、国土地理院のwebサイトでこの地域の地形図を見てみたけど、素人がこの地域には土砂崩れが発生する危険性がある、と判断することは不可能だったと思う。

プロの手による警告 = ハザードマップが絶対に必要だ。
素人には、プロの警告がないと、自分が住んでいる場所がどのくらい危険なのか判断がつかない。

広島市 : 土砂災害ハザードマップ(安佐南区・安佐北区・佐伯区)について

この地域の土砂災害ハザードマップは、小学校区毎に作る作業をしていて、まだ全地域分は完成していないようだ。今回見学をした、八木小学校区、梅林小学校区、緑井小学校区の分は未だ出来ていないらしい。


地名を変えてはいけない。

2014年8月20日の豪雨によって、広島市内の山間部で大規模な土砂災害が発生した。
お亡くなりになった方、被災した方にはお悔やみ申し上げます。

土地のバリューが下がるのを恐れて災害が起こりやすいという指定をしようとする行政の動きに地元が反対したとも、広島市が気象台からの注意喚起faxを読み飛ばしてしまったとも言われ、人災的な面もあるようで、これらはこれから検証されることになるだろう。

 

広島市八木地区の昔の名前

それにしてもビックリしたのは、特に被害の大きかった広島市安佐南区八木の、昔の地名だ。

Jcast : 「蛇落地悪谷」と呼ばれていた広島・土石流被災地―蛇が降るような大雨たびたび

なんと、八木蛇落地悪谷と呼ばれていたのだという。
やぎじゃらくちあだに

蛇が落ちてくるというのは、蛇が落ちてくるように水害が多かったからとも、災害を収めるために水の神である龍の首を武将が落としたからだとも言われるみたいで、これから考証する人が出てくると思う。

 

地名には先人の知恵と思いが詰まっている

八木地区にお住まいの方々を揶揄するつもりは全くないのだが、八木蛇落地悪谷なんていうオドロオドロしい名前だったら、その地名の由来を調べるだろうし、水害が多いことが分かっていたら、もっと何か被害を減らすような工夫の余地があったのではないだろうか。

人は愚かなので、昔起こった災害を忘れてしまう。
だからこそ、先人が地名に「児孫よ、この土地は水害が多いから注意しろよ」という思いを込めて、このような地名をつけてくれた訳だ。

人は愚かなので、「先祖よりも現代を生きる自分たちの方が頭が( ・∀・)イイ!!」と思いがちだ。
しかし、人は昔から愚かだし、これからも愚かで在り続け、進化するはずがない。
テクノロジは進化するし、食生活が変わって最近の子供は脚が長くなったとかいうことはあるかもしれないし、個体としての人は齢を重ねて成長はするが、種としての人の頭の中は千年とか二千年の単位では進化しない。

先人の知恵と思いには、敬意を払わなくてはならない。

 

地名を変えてはいけない

先人に敬意を払えばこそ、地名は出来るだけ変えてはいけない。
地名は大切にしなくてはならない。

平成の大合併で、くだらない平仮名キラキラネームの地名が多数出現したが、とても愚かなことだ。

蕨市内にも、郷町とか春日町とか水深町とか、御殿町とか土橋町とか、行政上、地図上には存在しない昔の地名が、町会組織の名前として生き残っている。
法華田という、バス停と県道の名前としてのみ生き残っているような地名もある。

wikipediaの「蕨市」のページを読むと、昔の地名がたくさん載っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/蕨市

このような地名は、余程の理由がない限り変えずに、後世に残さなくてはならない。

 

私見だが、古い地名を統廃合したり改名したりするのは、
・郵便制度を整備するため
・行政を合併して効率化を図るため
など、行政上の理由によることが多いのではないかと思う。

世の中のほとんどのデータが紙ベースで処理されていた時代ならば、地名は綺麗なピラミッド体系になっていないと効率が悪かっただろうし、郵便がちゃんと届かない、ということもあったかもしれない。
また、データを保存する装置(ハードディスクとか磁気ディスクとか)の値段も高かったので、1バイトでもデータ量を減らした方がいい、ということもあっただろう。

しかし、もはや、全てのデータが安価にネット上で管理できる時代なので、綺麗なピラミッド体系の地名システムを維持し続ける必要はない。

将来のどこかのタイミングで、昔の地名を復活させようという揺り戻しの動きが出てくると思う。

ついでに言うと、もはや、いわゆる電話番号も、番号(数字の羅列)である必要すらない。漢字や平仮名やアルファベットが含まれていても構わない。
(あ、日本語分からない人が電話するときに困るかな?数字と二重管理にして、どっちでも電話かけられるようにすればいい)

 

【追記 2014/9/2 02:03JST】

と、ここで、八木地区の地名の変遷について深く突っ込んで考察している方のブログを拝見した↓。ご一読を。
顧歩日記 : 広島豪雨災害:「八木蛇落地」の地名が変更されたのは江戸時代以前では


【蕨市議会】9月定例議会が開会しました。

さて、本日2014年9月1日(月)、蕨市議会9月定例会が開会しました。
会期は9月30日(火)までのほぼ一ヶ月間です。

年に4回開催される定例議会のうち、9月定例議会は前年度の決算認定が行われるので、予算審議を行う3月定例議会に次いでボリューム的にヘビーとなります。

 

市長報告など

定例議会の開会日に行われるのは、市長提出議案の読み上げ、説明など、ほとんどが単なる儀式的なものです。これらの内容は、既に説明を受けています。

市長報告だけは、市長が事ある毎に繰り返している自画自賛トークに加えて、この場で新たに発表されることが含まれる場合があります。

北町の日本車輌社宅跡地に開発中のマンション:ルネ蕨ガーデンシティ内に設置される認可保育園について、事業者が、株式会社ゴーエストであると発表がありました。
「メリー★ポピンズ」というブランド名で認可、無認可、事業所内を多数展開している会社です。
サービスインは来秋で、定員は1-5歳児合計で40人規模とのことです。
錦町のアートチャイルドケアわらびが105名規模、
来春に北町にサービスインするニチイキッズ蕨きたまち保育園が66人規模
なので、小規模な感じですね。

 

市長報告は、↓こちらのページで公開されています。
蕨市:市長報告・施政方針