横断歩道で歩行者がいるにも関わらず一時停止しないクルマが多い

あれれ、一時停止は? 横断歩道の歩行者無視220台:朝日新聞デジタル

「横断歩道は歩行者優先」。自動車教習で必ず習うが、実態はどうか。新潟市の中心部で調べると、信号のないところでは多くの車が止まらず、通学路の交通量が多い小学校が対応に苦慮していた。新潟県警は取り締まりを強め、専門家も注意を呼びかけている。  9月中旬の平日朝。新潟市中央区の新潟大学病院の信号のない横断歩道を、通勤する人や学生らが行き交っていた。 …

この件、偶然、昨日か一昨日テレビジョンを見ていたら、同じことを特集していました。

その番組によると、長野県では数十年前から、横断歩道を渡るときは手を上げ、渡り終えたらクルマに向かって深くお辞儀をしましょう、と子供に教育していることが功を奏して、全国の都道府県の中で最も一時停止率が高いのだそうです。

 

 

今に始まったことではないのですが、なおかつ、あらゆる世代のドライバーに共通して言えることなのですが、横断歩道に、歩行者(これから横断歩道を渡ろうとしている人)がいるにも関わらず、一時停止せずにそのまま歩行者の目の前を走り抜けようとするドライバーが多過ぎます。

私自身が歩行者の立場として体験したひどい例では、

クラクションを鳴らされた場合もありますし、

既に横断歩道を渡り始めているにも関わらず、あたかも障害物を迂回するかのように、わざわざ反対車線にはみ出して目の前を走り抜けていった場合もあります。

 

 

もちろん道路交通のルール上の違反ですし、すべてのドライバーが、免許取得時にしっかりその旨を学習しているはずです。

 

 

「横断歩道での一時停止違反」が徹底されていなかった理由

直接的な原因は、ドライバーのマナーが悪いということなのですが、なぜ、ルールが徹底されていないかというと、警察がこの件に関して、取り締まりをしないから、ということではないかと推測します。

 

 

今までは「横断歩道での一時停止違反」は、他の違反と比べると、それほど危険ではなかった

統計的、経済学的な分析をしているわけではなく、あくまでも個人的な印象論ですが、
今までは、「横断歩道での一時停止違反」が、深刻な交通事故を招くケースは、あまりなかったのではないかと推測します。

これは、スピード違反、一時停止違反、運転中の携帯電話の操作などのように、警察が躍起になって取り締まりをする他の違反と比べて、相対的に、危険度が低かったのではないか、という意味です。

 

 

高齢化によって、今まではささいな道路交通ルール違反とされていたものの危険性が増しつつある

ところで、今後、高齢化が進む中で、「運転があぶなっかしいドライバー」、「周囲への注意が足りない歩行者」が増えていくはず。

この種の交通ルールを徹底していくことが、未然に交通事故を防ぐために必要だと考えます。

 

私は、バイクに乗って峠やら山道やらを走るのが好きなのですが、免許取り立ての四半世紀前と比べると、危なっかしいドライバーが増えてきた、という印象です。

中央線がペイントされていない、1.5車線くらいの峠道において、ブラインドコーナーなのに道路の真ん中を走ってきたり、ひどい場合は中央を割ってインベタで走ってくるようなクルマが、増えました。
統計的なデータは持ち合わせていませんが、体感値ではかなり増えた気がします。
だいたいその種のクルマは、走り屋的な若者が運転するクルマではなく、大都市圏から来た(地元に住んでいるわけではなく、峠に慣れていない)高齢者の運転する、それこそプリウス的なクルマの場合が多いです。

こちらは命の危険を感じるほどなので、すれ違いざまにクラクションを鳴らして警告を発すると、自分が何でクラクションを鳴らされたのか分からない!という反応をされることも多いです。

 

最近は、本当にひやっと怖い思いをすることが多い上に、私自身の加齢による身体能力の劣化もあり、もうバイクを降りようかとすら真剣に考えたりします。

 

近年、大問題となりつつあるのは、高齢ドライバーによる、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故の類ですが、今後、(~10年後くらいまでの)中期的には、高齢化のますますの進展に伴い、ありとあらゆる種類の交通事故が増えていくのではないかと個人的には予想します。

医療技術の進展に伴い、元気な高齢者が増え、自動車の安全の技術が進化したのは素晴らしいことですが、従来であれば自動車運転からエグジットしていたはずの高齢者の方々がそうせずに運転をし続けている状況が増えた結果、交通安全が損なわれる状況も増えてしまいました。

(自動運転技術の発展に伴い、相殺される部分もあるし、10年以上先くらいの長期的には、交通事故がゼロになることを期待します。)

 

 

警察による、あらゆる交通ルール違反の取り締まりの徹底を求めたい

今までは何となく見過ごされていたような、ささいな交通ルール違反の取り締まりを強化することが、最も低コストな、社会の安全を守る方法なのではないかと思料します。

いろいろな啓発活動も有効ですが、とにかく効果が出てくるまでに時間がかかるし、お金もかかります。

最も手っ取り早く、社会全体にとって低コストなのは、やはり警察による取り締まり強化ではあるまいか。

 

 

 

余談ですが、2012年に、友人の結婚式のために初めて訪れたハワイでビックリしたのは、信号のない横断歩道を渡ろうと私が立っていると、例外なくクルマがすーっと静かに止まってくれることでした。

彼の国に学ぶことはたくさんあれど、感心することはあまりないのですが、これだけはほとんど唯一、感心しました。


蕨市園芸品評会がございました。

令和元年(2019年)11月23日は、新嘗祭の日でございますが、今上陛下に御代替わりしてから初めてですので、大嘗祭が行われております。

我が国の永久の五穀豊穣をお祈り申し上げます。

 

蕨市においては、11月22-23日(金土)、蕨市園芸品評会が行われました。

市内農家が生産した野菜・果物を出品して、出来栄えを競うコンテストです。
市内農家の中には、市外に田畑を持っている方もおり、市外で生産されたものも出品されています。

201911_蕨市園芸品評会

今シーズンは、2度の大型台風に見舞われたこともあり、また、市内農家の高齢化が進んでいることもあり、出品数は例年よりもかなり少なめでした。

葉菜類。

 

201911_蕨市園芸品評会

イモ類。

 

201911_蕨市園芸品評会

ネギは立派ですが、大根は出品数が少なく、大きさも例年よりも小さいものが多かったようです。

 

201911_蕨市園芸品評会

白菜が少ない。

 

201911_蕨市園芸品評会

こちらは、珍しいもの。

ムベなる果物?があるなんて、初めて知りました。

「むべなるかな」の「ムベ」なんだそうです。

あけびのような絶妙なグラデーションで、味も似たような感じだそうですが、あけびと異なり、きたならしくパカッと割れないのでありがたがられるとか。

今、ググって調べたら、「むべなるかな」って、天智天皇のお言葉なのだそうです。ありがたい果物ですね。

 

201911_蕨市園芸品評会

坊ちゃんかぼちゃ。

これも初めてみました。

どんな味がするんでしょうね?

坊ちゃんかぼちゃのレシピ 648品 – クックパッド

坊ちゃんかぼちゃの簡単おいしいレシピ(作り方)が648品! 「坊ちゃんかぼちゃグラタン」「坊っちゃんかぼちゃの煮物」「坊ちゃんかぼちゃの肉詰め」「坊っちゃんかぼちゃのグラタン」など

クックパッド見たら、くり抜いてグラタンにするレシピが多々紹介されていました。
これはおいしそうだ。作るの大変そうだけど。

 

201911_蕨市園芸品評会

和やかに表彰式が行われました。


国が、学校に1人1台パソコンを配ってくれる??

学校のパソコン「1人1台」へ 経済対策に予算盛り込み:朝日新聞デジタル

西村康稔経済再生相は19日の閣議後会見で、学校で児童・生徒が1人1台のパソコンを使える環境を整えるための予算を、とりまとめ中の経済対策に盛り込むと明らかにした。ICT(情報通信技術)の教育機会について地域間格差を是正したり、国際競争力を強化したりする狙いという。 …

先日のニュースで、

西村康稔経済再生相は19日の閣議後会見で、学校で児童・生徒が1人1台のパソコンを使える環境を整えるための予算を、とりまとめ中の経済対策に盛り込むと明らかにした。

とのことだけど、これ、どういうことでしょうか??

国が、国のお金で、全国の小中学校に対して、1人1台分のパソコンを買うためのお金を配ってくれるということ???

詳細はこれからトップダウンで詰めるのでしょうが、地方の立場として、もちろんタダでくれるのであれば、ウェルカムです。

しかしながら、取り敢えず1人1台配っとけばいいんじゃね?歓迎されるだろうし、反対する人もいないだろうし、関連業界は潤うし、というケインズ的なハコモノ発想、に過ぎない、要するに公共事業の一環だと思っているのであれば、大局的には大いなるムダを生む危険性があります。

そもそも、文科相ではなく、経済再生相から情報が出てくる時点で意味不明ですし。

 

そもそも教育あるいは学問は、

・何の道具を使って学ぶか

ではなく、

・何を学ぶか
・何のために学ぶか

そして更に言うならば、

・誰から学ぶか、誰と学ぶか

が大切なのです。

これは、初等教育以前の保育園・幼稚園の段階でも、高等教育でも同じであり、社会に出てから何かを学ぶときにも共通して言えることです。

パソコンを用いて何を学ぶか、何のために学ぶか、という議論をスルーして、取り敢えず1人1台配っとけばいいんじゃね?というアプローチは、私の好みではありません。

この件、その後の続報がマスメディアに出てこないのですが、注意深く見守ります。