【写真レポート】衆院選も中盤へ。

2017年10月10日(月)に公示された衆議院議員選挙は、2週目に突入し、12日間に渡る選挙戦も中盤に差し掛かりました。

 

私は自民党員として、地元の埼玉県第15選挙区においては、自民党公認・公明党推薦の田中良生候補を応援しております。

今回は、個人的にはなかなか興味深く面白い選挙戦となっておりますが、論評抜きにして取り急ぎ写真レポートのみ下記します。

 

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公示日当日、私は地元のご支援者とともに、公営掲示板へのポスター貼りを行いました。

ポスター掲示番号は、クジ引きで決まります。
この位置によって得票率が変わることもあるとか!?
(聞いた話なので、事実がどうかは不明。統計的な裏付けがあるのか経験則なのかどうかも不明)
1番というのは、いい番号です。

3人1組で、クルマで巡回して、担当地域内のポスターを全て貼りました。
このポスターは、裏面全体がシールになっています。単価は存じませんが、印刷代はけっこう高いのではないでしょうか。
1人目が運転し、2人目が貼る前にささっとタオルで掲示板を拭き、3人目はポスターの裏のシールをその間に剥がしておき、皺ができないように、空気を押し出しながらぺたっと貼ります。

 

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公示日当日の、戸田文化会館前での戸田出陣式。
出陣式は、蕨(川口市芝を含む)、戸田、さいたま市桜区、南区と、それぞれの場所で時間差で行います。

当日10時から蕨駅前で蕨出陣式が行われたのですが、私は、出向先の競艇企業団議会が同じ時間帯に開かれていたため、参加出来ず。
代わりに、戸田出陣式に参加しました。
いい感じに盛り上がっていたと思います。
(この写真だと人があまり写っていませんが、手前側に大勢の聴衆がおりますw)

 

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自民党宣車の運転。

宣伝車は、本人宣車と政党宣車の2台があります。
この日は、私は政党車の運転をしました。

 

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証紙を貼ったポスターの掲示。

この種のポスターについては、公職選挙法においていろいろと規制があります。
候補者が自由にポスターを作って、好きなようにあちこちに貼りまくる事は出来ません。法の趣旨としては、規制を設けないと資金力の優劣で選挙の勝敗が決してしまうことになりかねず、それは好ましくないから、ということだと思います。
この新しいポスターは、「いい笑顔だ」と、ご支援者の方々には評判がいいですw

 

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北町マルエツ前で、本人のスポット街頭演説。

この種の、商業施設やら大型のマンションやら交差点やら、人が多い場所で、10分程度の短時間で街頭演説を行うことを、「スポット街頭」等と呼んでいます。

予め分刻みの綿密なスケジュールを組んで、予定通りにかっちり周ることもあれば、臨機応変に巡回しつつ、その場の判断でぱっとやることもあります。

 

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こちらは、蕨駅東口での街頭演説会。

予め場所とスケジュールをかっちり決めておきます。
効果的な位置で行うために、30分以上前から場所取りをしておき、旗を立てたり声を上げて資料を配るなどして雰囲気を盛り上げておきます。

場所と時間が予めきまっているため、近隣のご支援者に声を掛けていて、集まってもらったりもします。

場所取りに関しては、各陣営はお互いに生きるか死ぬかの戦いをしているわけですが、先に場所取りをしていた陣営があったとしても、別の陣営の候補者本人がやってきた時は場所をお譲りする、という不文律があるようです。

 

尚、今回の衆議院議員選挙からは、埼玉県第15選挙区には、蕨市、戸田市、埼玉市南区・桜区に加えて、川口市芝の一部が組み入れられています。

実は、蕨駅東口は、南側1/3ほどのみが蕨市で、北側2/3ほどは川口市なのです。
従来は、蕨駅東口で街頭演説の類をやるときは、塚越方面に向けて場所決めをしていたのですが、今回は、芝地区を取り込むために、この埼玉りそな銀行蕨東支店前でやることになりました。

実は、私の父祖の地は川口の芝でして、親戚もたくさん住んでいるのですが(父親の代で転出したので、私自身は住んだことはない)、ギリギリのところで、その辺は埼玉15区には組み込まれませんでした。

 

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蕨駅西口での街頭演説会。

菅義偉 内閣官房長官が応援演説に来てくれました。

この日はあいにくの雨模様で、しかも、官房長官がビール箱の上に登壇してから雨足が更に強くなってしまったのですが、官房長官は傘もささず、スタッフに後ろから傘をささせるということもせず、びしょ濡れになりながら力強く演説していました。
こういう演出は、個人的にはとても参考になります。

演説の後、官房長官が駅の方に向かい、何人かと握手して回ったのですが、私の地元のご支援者の方が
「菅さんと握手してもらっちゃった(^o^)」
とメールで喜んでおられました。
当初は、警備の都合上、官房長官が聴衆の方に近付く予定はなかったとのことですので、握手できた方はラッキーだったと思いますw

 

取り急ぎこんな感じです。

 

 

個人的な知り合いで今回、新人として挑戦しているのが何人かおります。
私はもちろん、地元に張り付いて、地元の自民党の候補である田中良生の応援をしているので、駆け付けて手伝うことは出来ないのですが、心の中で応援しています。

埼玉4区の穂坂泰君は、自民公認でがっちりとした組織選挙ですが、現職のT田M子さんも意外に健闘しているみたいなので、気を引き締めて頑張って欲しいです。

京都2区の繁本護君は、現職が前原さんという厳しい選挙区ですが、何としても勝ち上がって、国に尽くしてもらいたいと思います。


体協錦町支部運動会がございました。

昨日、2017年10月15日(日)は、あいにくの雨でありましたが、蕨市立西小学校体育館において、蕨市体育協会 錦町支部の運動会がございました。

この時期にしては肌寒く、参加者数は晴天の年と比べると少なめでしたが、ちびっ子たちは所狭しと元気に走り回り、参加者はみな心地よい汗を流したこととも思います。

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ペアでボールを背中に挟んで落とさないようにしながら横走りをする競技。

 

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7つのお祝い。

来年度の西小学校入学予定者による、玉入れ競技。
校長先生による挨拶の後、黄色い傘を進呈。

 

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パン喰い競走!

これ、子供の頃やりたかったけど、やったことありません。今でもやりたい!けど、残念ながら参加資格は小学生だけです。

 

関係者の皆様、お疲れ様でした。


災害時における市議会議員の役割

先日、蕨市議会において、掲題の講演会があった。
(正確に言うと、議会改革特別委員会において、外部講師をお呼びした講演会・勉強会)

講師は、鍵屋一氏で、元 板橋区の行政マン。現在は大学教授かつ、複数の防災系の非営利団体の役員などを務めている方。

 

なかなか面白い話を聞いたので、幾つか、ファインディングスと、私なりの所見を以下にメモ。

 

・大災害時の地方自治体では、行政の現場は、とても忙しい(当たり前だが)。
本来の行政サービスの原則である、公平性が守れないケースもある。

これを、公平ではなくても止むを得ないと考えるか?何が何でも公平でなくてはならないと考えるか?

大災害発災時に、公平にデリバリすることが不可能であるが故に、せっかく届いた救援物資が受け取ったまま放置されていた、なんてケースをどこかで聞いたことがある。このような場合、遠くの避難所に行き渡らないとしても、目の前の避難所に取り敢えず配布することを良しとするかどうか?

 

・地方自治体における、地方議員は、どこの政党・会派の人も、多かれ少なかれ、出身地域の利益代表としての性格を持っている(これも当たり前)。

「よその避難所には◯×は届いているのに、うちの避難所には届いていない!」というケースがあれば、その地域の議員の立場としては、行政に対してクレームをつけざるを得ない。

このような場合、現場の行政マンとしては、その議員からのクレームへの対応のプライオリティを上げざるを得ない。

個別の議員としては、このような状況下では、「言ったもの勝ち」なので、とにかく自分の地盤とする地域に利益誘導するしかない。
(個別の議員の立場としては、それ以外の選択肢はない。)

結果として、無駄なコミュニケーションコストが発生し、全体最適も実現しない、ということにもなりかねない。

 

・大災害時においては、とにかく行政の人的リソースが足りない。

無駄な作業は、できるだけ少しでも省きたい状況。
例えば、議員からの電話を一本受けるだけでも、5分なり10分なり時間がかかり、その分、他の作業ができなくなってしまうことになる。(当たり前だ)
それを必ずしも無駄とは言えないが、現実的には、全体最適の実現を阻んでしまうことも少なからずあるだろう。

 

・大災害時においては、現場の行政マンのメンタルヘルスケアがぼろぼろ。

例えば、自治体のBCP計画(有事の役割分担を定めたもの)において、ご遺体処理とか遺族対応の役割を割り振られている部署があったりする。もちろん現場の行政マンは一所懸命に目の前の仕事をこなすだろうが、そんな仕事なんて経験したことも訓練したこともない。

組織論的に言えば、行政組織のトップ・上司が守るしかないのだろうが、議会としても、現場の行政マンのメンタル面をいかに守るか、という視点が必要。

 

・大災害時における、議会・議員の役割は、最小限に留めるべき。

行政の邪魔をしない、自らの地域への「過度の」利益誘導を図って全体最適の実現を阻まない。
「適度な利益誘導」は、必要なものであり、議員の本分でもあるのだが、線引きは難しい。

今回の講演者である、鍵屋氏からは、先行自治体事例を挙げつつ、
「議会で災害対策会議のような有事の組織を設け、行政に対して情報を取りに行ったり、逆に情報を提供したり、何らかの要望を投げかける際は、この組織を通じて一元的に行うのがよい」
という提言があった。

私も、議員が地域の利益代表としての役割を果たしつつ、行政の現場の邪魔をして全体最適の実現を阻むのを防ぐやり方としては、このくらいが妥当かと思う。

 

 

 

また、元 行政マンならではの、行政マン的な視点・立場の本音話みたいなものの片鱗も聞くことが出来て、そちらも面白く感じました。

なかなかそういう話を聞く機会はないものですから。

市役所の建物の中で、市の行政マンと日々接する機会はありますが、お互いに立場が違うので、なかなか本音の話はしません。友達じゃないし。それでも、ふっとした会話の中で、ポロッと本音を漏らしてくれる人もたまにいたりして、それはそれで嬉しく思いますが、特定の議員と仲良くすることは、その行政マンにとってもキャリア上のリスクになるはずですし、一線を越えずにw お付き合いするように心がけておりますwww


蕨市の「平和事業」から、平和を実現する方法を考える。

蕨市の「平和事業」なる不思議なモノ

さて、蕨市では、毎年、「平和事業」なるものを幾つかやっており、その一覧表とチラシを綴じた冊子が、市役所の入り口で配布されていました。

おそらく、毎年同じものを作っているものと思いますが、手に取ったのは初めてです。

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各公民館、図書館、歴史民俗資料館が会場となっており、それぞれが主催してます。
この資料の発行元である、教育委員会が、最終的な主催者ということになります。

 

イベントは、一覧表によると、20あり、概ね、3パターンに分類出来ます。

 

(1)平和を祈るための、抽象的なイベント
(2)戦争体験談を聞く
(3)戦時下の悲惨な暮らしの展示

(1)は、平和を祈るための音楽コンサート、戦争をテーマとした映画の鑑賞会、蕨市民公園に設置されている平和之母子像をみんなで清掃するイベント、千羽鶴を折る会など。具体的な内容については不明ですが、おそらく、そのイベントの内容そのものが平和の実現に直結するものではなく、イベントを通じて、各自が平和について考えることを目的とするものです。

(2)は、大東亜戦争の体験談を聞く会です。数件開催されるようで、それぞれの語り部がどういう方なのかプロフィールは不明です。

(3)は、すいとんの試食会、パネル展「戦時下の蕨」、「戦時下の子供たちと暮らし」(おそらく写真展)、展示コーナー「戦争の記録 埼玉の被害」(おそらく写真、地図、空襲で焼けたモノなどの展示)など、銃後の切り詰めた暮らし、敵国による被害状況を展示したものです。

 

いずれについても詳しい内容は不明ですが、概ね、一貫して、

「大東亜戦争は、邪悪な政治家・軍が暴走したもので、ピープルは被害者である」という東京裁判史観

あるいは、

「権力は絶対悪であり、虐げられたピープルは横暴な権力と戦わなくてはならない」という階級闘争史観

に貫かれており、個人的にはとても不愉快です。

 

ナマの体験談を聞いて、教訓を導き出し、現在や将来の意思決定に役立てることは大切です。

しかしながら、抽象的に祈ったり、すいとんを食べて貧しい食生活を追体験したり、戦況が厳しくなった後の、悲しく惨めな生活を振り返ることにどのような意味があるのでしょうか。

戦争が悲惨であることを追体験し、振り返るだけでは、戦争を防ぐことは出来ません。

 

戦争を防ぎ、平和を実現する方法

私が大学で学んだ、戦争を防ぐ方法は、
・戦争の研究をすること
・戦争の備えをすること
この2つです。

戦争の研究は、すなわち、過去の戦争の歴史の研究と、兵器の研究です。強いて挙げれば、国際法の研究も含まれます。
(尚、具体的な軍事戦術・戦闘術は、プロの軍人の範疇であり、民間人が研究する必要はありません。我が国においては、これを研究している大学も存在しないはずです。)

戦争の備えは、意思と能力に大別されます。
意思は、国民の、たとえ戦争をしてでも守るべきものを守るという心構えのことです。
能力は、軍事力と、これを支える国内法体系、諸インフラのことです。

 

「平和事業」の私案

私が、蕨市の「平和事業」をデザインするならば、ざっくり、以下のような方針で考えますね。

 

戦争の歴史の研究

日露戦争から大東亜戦争までの個別の、戦史の展示を行います。
具体的な人物や、イベント、軍艦などをピックアップして取り上げます。

例えば、
・部下思いの、旅順口閉塞作戦の広瀬中佐
・命懸けでバルチック艦隊の動静を内地に伝えようとした、宮古島の久松五勇士
・冷静沈着に事故に対処した、第六潜水艇の佐久間艇長
・コロンバンガラ島沖海戦で、身を挺して勇敢に戦った軽巡洋艦神通
・玉砕を禁じて少しでも長く敵を釘付けにすることを狙った硫黄島の戦い

どれもこれも、民族の栄光の歴史として永遠に語り継ぐべき話です。
インパール作戦、レイテ沖海戦などの、失敗した戦史についてはここでは取り上げません。

 

兵器の研究

人類の歴史は、兵器の歴史です。
兵器を理解しないと、戦争を防ぐことは出来ません。

現在の最新式の、
我が国と同盟国(米国)の兵器
潜在的な敵国の兵器
の写真による展示を行います。

また、核兵器については、冷戦後も尚、世界のディシジョンメーカーのコモンセンスとなっている相互確証破壊理論と、NPT体制を中心とした解説を行います。
これを理解しないと、我が国や既存の核保有国が2017年7月 核兵器禁止条約に反対している理由、北コリアが必死で核開発を進める理由は、理解出来ません。

 

守るべきものを必ず守るという心構えの涵養

これら上記の展示を通じて、私達の父祖が、何のために命懸けで戦ったのかを考えることで、たとえ戦争をしてでも守るべきものを守る、という心構えを涵養していきます。

 

これらが、戦争を防ぎ、平和を実現するための唯一の方法だと確信します。


都議選の感想など

先日2017年7月2日に、都議選の投開票が行われ、小池百合子都知事が率いる都民ファーストが大躍進して、東京自民党が歴史的な大敗を喫したわけですが、主観的かつ定性的に、あくまでも当事者ではなく傍観者かつ評論家的な視点で、チラ裏的な所見をメモとして下記。

為念、私の立場は、もちろん自民党員なので、東京自民党を心の中で応援していたわけですが、具体的な選挙活動などのサポートは何もやらなかった。
自民党は、どのレイヤーにおいても、地域支部の独立性が極めて強く、組織としての横の繋がりはほとんどない。個人的な繋がりで、知り合いの候補がいれば応援しに行ったと思うが、特にいなかったので。

 

 

結果にびっくり

都民ファースト躍進・自民敗北は、事前のほとんどの報道通りでもあり、多くの人が何となく予想していた通りでもあったと思う。

個人的には、個人的な予想を遥かに越えて都民ファーストが圧勝し、東京自民党が大敗北したのでびっくりした。

まさか自民党がここまで負けるとはね。
これが、今回の「小びっくり」

 

 

選挙戦にもびっくり

今回の「大びっくり」は、選挙戦全体を通じて、政策論争がまったく為されなかったこと。

東京都民の関心事というのは、待機児童やら高齢者福祉やらもちろん多岐に渡っているはずだが、やはり何と言っても、あらゆる(都内の)地域、世代を通じて関心が高いのは、
・東京オリンピック
・築地市場の豊洲への移転
の2題かと(主観的に)思う。

東京オリンピックについては、既存路線を小池都知事が修正して、もはや実行フェーズであって、政策論争のフェーズではないが、小池路線を信任するかどうか、が争点となるのだろうと思っていた。

市場移転については、最終的に小池都知事が打ち出した方針は、「豊洲に移転しつつ、築地も残す。財源はワイズスペンディングでw」というものだ。
個人的には、「築地残留派にも豊洲移転派にも良い顔をしようとした、玉虫カラーの案であり、戦力が分散化してしまう、下策中の下策」と思っていたのだが、この際僕の考えはどうでもよくて、この小池都知事の方針、ないしはこのような方針を最終的な落とし所に据えようとする小池都知事の政治スタイルを信任するかどうか、という点が争点になるのだろうと思っていた。

ところが、選挙戦が始まってみると、オリンピックも市場移転もさっぱり話題に上らなかった。これが「大びっくり」。

 

 

徹頭徹尾、イメージ選挙だった

では何が勝敗を分けたかというと、徹底的なイメージ選挙だった。

都民ファースト側が打ち出した、東京自民党/都民ファーストのそれぞれのイメージは、

東京自民党:
古くてダメダメな体質。

都民ファースト:
新しい、期待できる。

というものだった。
新人だからと言って、中身は(体質は)古い場合もあるし、能力的にも実績的にもまったく期待できない候補者もいるし、一皮むけば「元民主党」だったりする候補者すら居たりしたわけだが、この際、実態は関係ない。何故ならば、あくまでもイメージ選挙だから。

イメージ選挙は、徹底的に同じことを連呼することが大事。イメージ選挙においては、政策を語る必要はない。政策を問われたら、はぐらかすのが、戦術的には正しい。だからこそ、小池都知事は、市場移転問題の財源を問われて「ワイズスペンディングで」などという回答を、敢えて為したわけだ。

 

東京自民党は、都民ファーストによるイメージ選挙に対抗できなかった。

 

 

マスメディアは、本質的に反権力指向

今回、つくづく思い知ったのが、これ。
我が国においては、個々のメディアによって、イデオロギー的にも、各政党との距離感もまちまちだが、押し並べて、本質的には、反権力指向を持っている。

反権力指向とは、時の政権が自民党だろうが民進党だろうが都民ファーストだろうがどこの政党だろうが関係なく、右派だろうが左派だろうが関係なく、その時点での強者をとにかく叩く、というもの。
これが、マスメディアの本質だ。

もちろん全てではなく、例外はあるけど。
あと、比較政治学的なアプローチで、海外の事例を研究してみたら面白いけど、たぶん、我が国だけの特殊な事情だと思う。

 

何でだろう?
もっと他のアプローチの、例えば事大主義的なメディアが存在しても、それはそれでおかしくないのに(マーケット的に受け入れられる余地はあるはずなのに)。

私の仮説だけど、我が国のマスメディア業界(主に新聞業界・テレビ業界)は、人材に占める学歴エリートの比率が高過ぎて、「マスメディアが、マスを代表して権力と闘う」という意識が強過ぎることと、業界の(その中でも、特に社会的影響力が大きい、大規模メディア企業の)人材の流動性が低く、多様性が低いことが要因ではないかと。

もしかしたら、「自分達はマスを代表している」という意識は、政治家よりもマスメディアの人の方が強いかもしれない(笑)

 

 

今回の都議選では、多くのマスメディアが、反権力指向に基づき、徹底的な反自民・親都民ファーストのアプローチで報道に臨んでいた。

国政レベルでの自民党国会議員の失言(稲田防衛大臣の失言)、スキャンダル(豊田真由子衆議院議員の秘書への暴力)を、あたかも、東京自民党の古くてダメダメな体質の発露であるかのように報じていた。これらの失言やスキャンダルは、政党の問題ではなく、個人の問題なのだが、百歩譲って、国政レベルでの自民党の「強者のおごり」からくる組織的な要因に基づくものだったとしても、それは、一地方支部に過ぎない東京自民党とは無関係であったはずだが、これを結びつけようとする報道が多かった。

選挙戦最終日の秋葉原における安倍自民党総裁の選挙演説のときに、わずか数十人規模の一部の組織的な、「安倍辞めろ」という旗を掲げてシュプレヒコールを叫ぶ演説妨害活動を、あたかも秋葉原に集まった殆どの人達が同調していたかのような報道もあった。

これらは、偏向報道、あるいは、最近の言葉で言うとフェイクニュースと呼ぶのが相応しい。

 

 

難問山積の東京都議選において、何故、政策が争われなかったのか?

何故、イメージ選挙に終止してしまったのだろうか。

正直、よく分からないのだが、結局、ただ一つ考えられる理由は、マスメディアが、各陣営・各候補者の政策に、報道の焦点を当てなかったから、ということかと思う。

マスメディアが政策を取り上げなかったから、政策が争われなかった。

マスメディアがイメージ選挙を後押ししたから、イメージ選挙に終止してしまった。

 

東京オリンピックや築地市場の豊洲移転問題に限らず、様々な問題・課題を抱えている東京都政を、新しいイメージだけでどうこうできるはずがない。

政策を必死で考えて、これを闘わせて更に練り上げていかなくてはならないのに。

 

 

マスのメディアリテラシはまだまだ昔のまま

昔と異なり、マスメディアの影響力は、相対的に言って落ちているはずだ。

新聞の購読率は下がり続けているし、テレビを見ない人も増えている。
インターネットが社会・情報インフラとして普及して、ソーシャルメディアも十分に育ってきた。10年前は、2ちゃんねるのような玉石混交のコミュニティしかなくて、使いこなすにはそれなりの知性が必要だったが、今は、ソーシャルメディアがこなれてきた。

 

なので、マスメディアの反権力指向に基づく、原始的な手法による偏向報道・フェイクニュースは、もはやそれ程効果を発揮し得ないものと思っていた。

でも、まだまだマスメディアの力って大きいんだなー!というのが率直な感想だ。

この点においては、時の大新聞がマスを煽りに煽って好戦気分を盛り上げ、時の政権を対米開戦に追い込んだ時代とあまり変わってない。

 

これは、一言で言うと「マスのメディアリテラシが低い」ということなんだろうし、おそらく、世代によってマスメディアとの接し方、メディアリテラシには大きな差があると思う。

今回の都議選の結果も、世代ごとの自民・都民ファーストと得票率はおそらく全然違うのではないかと思うが、ちょっと面倒なので、そこまで分析はやってない。

 

 

何故、我が国においては、マスメディアの力がこんなに強いんだろう?

と、今、つらつら考えてみたのだが、我が国では、マスが、マスメディアを信頼しすぎているんだよな。
それは、何故かというと、学校教育で、新聞やテレビは嘘をつく、と習ったことはないからだ。
それどころか、学校教育の中で、新聞に書いてあったり、テレビで流れいていることは全て正しいことである、間違っていない、ということを前提として、新聞やテレビを教材にすることも多い。

「政治家は、間違えることもあるし、嘘をつくこともある」というのは、世間の常識と化している。
それどころか、「政治家は、必ず間違える、必ず嘘をつく」と思い込んでいる人も多い。
にもかかわらず、「マスメディアは、間違えない、嘘はつかない」と考えている人は多い。
これは、よく考えてみたら、とても不思議なことだ!

これからの学校教育では、マスメディアは間違えることもあるし、嘘をつくことも多い、ということを教えなくてはならないと思料する。

何が正しいか、何が間違っているかは、自分で判断するしかない。判断するためには、知性が必要だし、膨大な知識が必要だし、場合によっては経験も必要だ。

マスメディアに限った話ではなく、学校の先生とか、親とか、いわゆるエラい人も、間違えることはある(場合によっては、ウソをつくこともあるかも)。何が正しいか、何が間違っているかは、自分が判断しなくてはならない。判断そのものを学校の先生や、親や、エラい人に預けてしまってはいけない。
これを、我が国の伝統的な「親を大切にする、年上の人を敬う」という価値観に反しないように教えるのは、かなり至難の業だ。


女性宮家創設には反対です。

NHK 2017/5/28 : 民進 幹事長「女性宮家」検討明記なければ審議応じず

日経 2017/5/30 :女性宮家検討を明記 退位付帯決議案、与野党合意へ

ということで、女性宮家を検討することとなりました。
民進党が強く主張し、天皇陛下の退位を実現する特例法案を立法するための妥協策として、自民党が受け入れたものです。

これは極めて危険な流れです。

女性宮家は、なんとしても阻止する必要があります。

 

女性宮家ができれば、次にやってくるのは女性天皇であり、女系天皇です。

我が国の歴史上、一度も女系天皇が即位したことはありません。
女系天皇が誕生したその時点で、神武以来の皇統が断絶し、新たな王朝が開闢されることとなります。

民族の歴史と伝統の中心に位置する皇統の断絶は、これすなわち、想像の共同体たる日本民族の消滅を意味します。

 

国家を転覆しようとする罪を内乱罪と呼び、どこの近代国家もこの罪と罰を定めています。

王朝を転覆しようとするのは、近代国家ではこのような罪の概念は存在しませんが、国家の転覆以上の大悪です。

 

歴史と伝統を破壊し社会を転覆して革命を目指す共産主義者や、潜在的な敵国たる外国の勢力下・影響下にある恐れを否定できない政党・勢力が、必死になって皇統の断絶を目論むのは当然のことです。

 

女性宮家創設の議論は、
・男女平等
・皇族が減っていることの対策
というような理由で賛成しないようにしましょう。

事の本質を見誤らないにしていただきたいと思います。