2017年 東北被災地巡り(3) 石巻

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その3 石巻

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


石巻の沿岸部分を回る。

 

以下の3枚は、2017年5月現在。

201705_石巻市内

建物の礎石の前に「復興するぞ!」の文字。

201705_石巻市内の復興住宅

「復興住宅」という名前で建設された、被災者向けの集合住宅。

201705_石巻市内の復興住宅

こちらも復興住宅。

石巻市 webサイト : 津波避難ビル・津波避難タワー#石巻市営大門町復興住宅

津波避難ビルに指定されている。

普通、この種の建物は、事故やイタズラ防止のために、屋上のドアには鍵がかけられているものだ。いざ津波の際には屋上に避難出来るようになっているのだろうと思いきや、屋上だけではなく、上記の石巻市のwebサイトによると、4階部分にも大きな避難用の部屋が設置されているようだ。

 

 

仮設住宅ではないので、普通に住みやすそう。

石巻市 webサイト : 石巻市復興公営住宅に入居を希望される皆様へ

家賃は、世帯収入の額に応じて変わる。

計算のベースとなる世帯収入は、被災による損失を繰越控除して計算するようだ。実際の手取り収入が多い人でも、被災による損失が大きい場合は、家賃はかなり安く抑えられる仕組みになっている。
復興支援が目的であるならば、よく出来た仕組みだ。

 

 

旧 石巻市立湊第二小学校

2012年4月

P4149791

この時点では、授業は別の場所で行われていたものの、既に廃校になることが確定していたため、思い出ペインティングがなされていた。

2014年4月

石巻市立湊第二小

2013年3月に廃校になった直後。校舎は 囲いに覆われていた。

2017年5月

201705_旧石巻市立湊第二小学校

校舎は依然として放置されていた。

校庭は、綺麗に整備されてフットサル場になっていた。

 

 

石巻市立湊中学校

2012年4月

P4149769

校庭には土砂が積もり、荒れ果てていた。

2014年4月

石巻市立湊中 授業再開している

ちょうどこの校舎での授業が再開したところだった。

2017年5月

201705_石巻市立港中学校

津波で壊れたプールを作り直す工事が進められていた。

 

 

石巻市 大宮町津波避難タワー

(2017年)

201705_石巻市 大宮町津波避難タワー

石巻市webサイト : 津波避難ビル・津波避難タワー#大宮町津波避難タワー

すごく立派な建物だ。

鍵がかかっているが、鍵が入ったボックスは、震度計と連動して、一定以上の地震の際に自動的に開くようになっている。

4階部分は、屋内避難できる部屋があり、トイレ、発電機などがある。

214名が避難できる。

↑石巻市webサイトの写真を見ると、学校の多目的教室のような、綺麗で広くて明るい感じの部屋だ。

普段は公民館みたいな使い方もできそうだ。
地震の時だけにしか使わないのではもったいないような気もする。


2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その2 野蒜

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


野蒜へ。

 

仙石線 旧野蒜駅

2012年4月

P4139645

1階はガラスが割れたまま。放置されていた。
2階は無事だったようだ。

2014年4月

仙石線野蒜駅 取り壊し?改装?工事中

足場を設ける工事をやっていた。取り壊すのかと思っていたが、この時点で、既に震災遺構として残すことが決まっていたようだ。

2017年5月

201705_旧野蒜駅

1階は休憩施設とファミマ。
2階は震災の資料室になっている。

ちょうど17時の閉館時刻だったので、資料室には入れず。がくっ。

駐車場も舗装整備中で、観光バスが何十台かやってきたも耐えられるようになっていた。

尚、後述のように、仙石線は、山の上の方に新たな線路を敷き直し、新しい野蒜駅も既にサービスインしている。
この建物は、鉄道駅としては利用されていない。

 

 

旧 野蒜駅構内

2012年4月

P4139664

駅構内は、線路が土砂で埋もれ、架線は切れ垂れ下がったまま放置されていた。

2014年4月

仙石線野蒜駅

架線など移動できるものは撤去されていた。

2017年5月

201705_旧野蒜駅

震災遺構としてプラットホームだけが撤去されずに残してある。

まあしかし、ホームはあくまでもホームですな。

 

 

旧野蒜駅前の様子

2012年4月

P4139648

津波の引波で持って行かれた街灯が、くにゅっと曲がったままだった。

ピカピカの電柱と信号機が印象的。
やはり復興のためには、電気と交通インフラは必須であり、優先順位が高い。

2014年4月

仙石線野蒜駅前

橋の欄干はベコベコのままだった。

2017年5月

201705_旧野蒜駅前

橋の欄干は作り直されていた。

優先順位をつけて復興・復旧が進んでいることが分かる。

 

 

かんぽの宿 奥松島

2014年4月時点では、廃墟として放置されていた。
震災遺構として残そうという議論もあったようだが、今回訪問時には解体されていた。

震災遺構として残すにしても、耐震診断・津波影響調査(鉄やコンクリへの影響を調べる)等を行った上で、来訪者が安全に見学できるように整備し直さなくてはならないわけで、けっこうなお金がかかる。

どのような経緯があったのか分からないが、震災遺構として残すことを諦めたのだろう。

 

 

奥松島の海岸沿い

2012年4月

P4139670

ガレキ仮置き場は山積みになっていた。

2014年4月

かんぽの宿 奥松島

上述のかんぽの宿奥松島の玄関部分より、海岸方面を望む。

ダンプが引切りなしに行き来していた。
今思えば、盛土をしていたのかと思う。

2017年5月

201705_奥松島

複数の杭打ち機が稼働していた。

おそらく、これから堤防を造るのだと思う。

それにしても、大きなビルの基礎工事に使うような、こんな背の高い杭打ちマシンで杭を打つんですな。

 

奥松島の月浜

漁業と観光業の小さな集落。
海辺の民宿街は壊滅した。

2014年4月

奥松島の月浜 仮設住宅

大きな駐車場に仮設住宅が出来ていた。

2017年5月

201705_奥松島の月浜

仮設住宅は既に撤去されていた。

この民宿街に住んでいた人たちは、どこに行ったのかな?

 

月浜の海辺の民宿街

2014年4月

奥松島の月浜

盛土が終わっていた。

この時点では、建物敷地部分だけに盛土をし、道路部分には盛土はなされていなかった。

2017年5月

201705_奥松島の月浜

その後、道路部分にも盛土を行ったようだ。

道路は綺麗に舗装され、建物敷地部分も砂利が敷かれている。排水設備も整備されている。

かつてここは民宿街があったのだが、今は一軒も建っていない。
結局家を建て直して人が住むわけではないのだったら、わざわざ盛土をする必要はなかったのではないのかな?
よく分からないけど。

左側の白い倉庫群は、漁協の倉庫。

 

新野蒜駅と、丘の上のニュータウン

以下の写真は全て2017年5月現在。

 

仙石線は、2015年5月に、津波をかぶった区間が高台に移転して、営業再開している。

野蒜駅も、高台に新しいピカピカの駅が建てられている。

201705_新野蒜駅

駅前のロータリー。

背後を見れば分かるように、山を切り崩して、新しいニュータウンを造成したのだ。

201705_野蒜ヶ丘マップ

野蒜ケ丘という、いかにも郊外ニュータウン風の名前がつけられている。

地図を見れば分かるように、山が丸ごとくり抜かれて、新しい街が造成されている。こりゃカネかかりますわ。

201705_新野蒜駅前

あちこちで家を新築中の槌音が響いていた。

 

 

この日は、石巻市内に泊まり、地の魚を食べる。

DSC_0713

ほやの天ぷら。
意外と(゚д゚)ウマー


2017年 東北被災地巡り(1) 仙台 荒浜

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズということで、先週、バイクで被災地をぐるっと回ってきた。

 

2012年4月に行った時(震災から1年後)

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(6)女川~北上
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(7)南三陸
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石
福島第一の近くに行ってみました。(この日だけ2012年7月)

 

2014年4月に行った時(震災から3年後)

東北被災地巡り その1 仙台荒浜
東北被災地巡り その2 野蒜
東北被災地巡り その3 石巻
東北被災地巡り その4 牡鹿半島
東北被災地巡り その5 女川~北上
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

 

 

 

そして今回はその3年後ということで、震災から数えると6年後。
5年は長い。
しかし、復興の諸々はまだ道半ばと言った感じだった。

 

以下、定点観測なので、5年前と3年前と、写真を並べて比較できるようにする。

 

仙台市の荒浜へ

東北道をかっ飛ばし、仙台南ICから仙台南道路へ。
仙台南道路の南側は、ガキの頃遊んだ名取川。北側は昔は田んぼらだらけだったけど、今は新興住宅街として家だらけ。

 

旧仙台市立荒浜小学校へ。

海岸から貞山堀(伊達政宗公が造った運河)を挟んで、500mほどのところにある。

 

2012年4月

P4139570

校舎は閉鎖され、コンクリ敷きの校庭(?)には、津波で流され、回収されたバイクが横倒しに仮置きされていた。

2014年4月

仙台市立荒浜小

校舎は相変わらず閉鎖されたままだった。
この時点では、学校は、別の地域の小学校の校舎を間借りしていた。

2017年5月

201705_旧仙台市立荒浜小学校

すっかりきれいに整備され、震災遺構として一般公開されている。
観光バスがひっきりなしに出入りしていた。

仙台市 webサイト : 震災遺構 仙台市立荒浜小学校

この後見ていくように、他の地域では、「震災遺構として残していこう」と決めた建物についても、復興に忙しくて遺構整備にまでは予算も手も回らず、結果として放置状態になっていた。

仙台市はデカイ街だし、津波の被害に遭ったのは市域のごく一部に過ぎないので、余裕があるのだろう。

 

 

尚、学校は、2016年3月に閉校されている。
この付近は、すっかり何もない。
結局、この荒浜地域に住んでいた人たちは、ここに戻って来なかったようだ。コミュニティは崩壊し、子供達もあちこちに散ってしまったのだろう。

まさに、街が津波に飲み込まれてしまったわけだ。

 

以下は全て2017年5月

201705_旧仙台市立荒浜小学校

校舎の東側つまり海に面した部分。
2階の手すりまでがバッキバキ。

 

建物の中に入ってみる。

201705_旧仙台市立荒浜小学校

1階。

震災当時は、クルマが中に飛び込んできたらしい。

201705_旧仙台市立荒浜小学校

校舎が震災当時の姿で保存されている。

このように保存するのももちろん手間もお金もかかる。
来場者のために、新たにエレベーターまでが設置されていた。

201705_旧仙台市立荒浜小学校

ここは2階。
2階の床から3-40cmのところまで津波が到達していた。

201705_旧仙台市立荒浜小学校

子供達が模型を作って、「ここでよくボール遊びをした」というように思い出を旗に書いて記録していく。

これは良い試みだ。

201705_旧仙台市立荒浜小学校近く

この地域を南北に縦断する幹線である県道10号の横に、嵩上げ道路を新たに造っていた。

堤防としての役割を期待しつつ、避難道路として使うためにこのようにしているのかと思う。

201705_岡田津波避難ビル(仙台市内)

近くにあった津波避難ビル。

1階は水防倉庫になっている。

仙台市 webサイト : 岡田津波避難ビルが完成しました。

400人が避難可能で、トイレ、発電機、毛布、水・食糧が備蓄されている。完璧ですな。費用はざっとググったけど分からず。

オーバースペックのような気もするが、その点はちょっと判断つきかねる。

(奥松島編へ続く)


女性宮家創設には反対です。

NHK 2017/5/28 : 民進 幹事長「女性宮家」検討明記なければ審議応じず

日経 2017/5/30 :女性宮家検討を明記 退位付帯決議案、与野党合意へ

ということで、女性宮家を検討することとなりました。
民進党が強く主張し、天皇陛下の退位を実現する特例法案を立法するための妥協策として、自民党が受け入れたものです。

これは極めて危険な流れです。

女性宮家は、なんとしても阻止する必要があります。

 

女性宮家ができれば、次にやってくるのは女性天皇であり、女系天皇です。

我が国の歴史上、一度も女系天皇が即位したことはありません。
女系天皇が誕生したその時点で、神武以来の皇統が断絶し、新たな王朝が開闢されることとなります。

民族の歴史と伝統の中心に位置する皇統の断絶は、これすなわち、想像の共同体たる日本民族の消滅を意味します。

 

国家を転覆しようとする罪を内乱罪と呼び、どこの近代国家もこの罪と罰を定めています。

王朝を転覆しようとするのは、近代国家ではこのような罪の概念は存在しませんが、国家の転覆以上の大悪です。

 

歴史と伝統を破壊し社会を転覆して革命を目指す共産主義者や、潜在的な敵国たる外国の勢力下・影響下にある恐れを否定できない政党・勢力が、必死になって皇統の断絶を目論むのは当然のことです。

 

女性宮家創設の議論は、
・男女平等
・皇族が減っていることの対策
というような理由で賛成しないようにしましょう。

事の本質を見誤らないにしていただきたいと思います。